人生は楽しまなくっちゃ

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母の介護記録

家の財産を調べる 保管場所はいろいろ。

実家の財産を調べる。とてもいやな響きです。両親の気持ちを想像するとやる気が萎えます。それにとても面倒でした。家の中の何かがしまってありそうなところを全部見て回りました。 前の記事にも書きましたが、タンスの中の衣類の間、押し入れの布団の間、ト…

家中から大切なものが出てきた。

母の認知症の症状が少しずつ進行してきたと感じていた頃です。この頃はヘルパーさんは毎日来ていただいていました。要介護度2か3だったと思いますが、利用できる介護保険は全てヘルパーさんの費用でした。私たちのいない間にいろんな人に迷惑をかけていたと…

成年後見人制度に登記する

認知症の母が、とんでもないものを契約する心配とか、いろいろな手続きを代行できるようにしておかないと面いけないと考え、「後見人」について調べてみました。母の後見人になるということは「成年後見人」として登記するということで、法務局に届け出るこ…

ヘルパーさんを増やしました。

この頃のSさんのレポートを読み返してみると、大きな変化は無いものの少しずつ、「あれっ?」と思うことが増えていきます。よく出てくるのは、Sさんは通院にもよく付き添っていただいていたのですが、前日の日中に予定を説明し、保険証とかお薬手帳とか必…

認知症の母が住んでいた家

母の3回忌と父の1周忌の法事で実家に帰ってきました。遠くの親類も出席してくださり、両親ともに喜んでいることでしょう。 法事の前後に住人のいない実家に行ってきました。 画像は冷蔵庫につけられた錠前です。母は糖尿病だったせいか、やたらとお腹をす…

明日は母の三回忌と父の一周忌

早いもので、母が亡くなってもう2年たちます。父の一周忌には少し早いのですが、気候のいいうちに同時にやることにしました。出席してくださる方は、私たちも含めて2/3以上が関東在住なので、遠くから来ていただくのも恐縮します。菩提寺は海に近いところに…

ケアマネージャーの必要性

介護にプロの経験は必要この頃、Sさんの紹介で老人介護施設のケアマネジャーKさんを紹介してもらいました。彼女たちは頼りがいのあるプロです。怒りっぽい父、いつも何かに不安を感じている母に対し優しく丁寧に接し、二人が抱えている問題点をみつけ、最…

ようやく介護認定をうけました

実家に帰った折にSさんとお話をしていて、介護認定という制度を知りました。ようやく…です。介護保険が使えるようになるとのこと。またケアマネージャーという制度についても教えてもらいました。母の場合、遠距離介護になるので地元の人の助けが不可欠です…

ついに、白内障の手術の日

白内障の手術の入院が迫ってきました。この頃のSさんのレポートを見ると、母に不安障害が起きているらしいことがわかります。糖尿病治療のための内科通院の準備の件でSさんに何度も同じことを聞いたり、点眼薬を冷蔵庫にしまったことを忘れたり、ある時に…

お薬カレンダーも惨敗!

1月から実家の様子見をお願いしたSさんは、非常にまめにレポートを書いてFAXで送ってくれました。 最終的には、両親が介護施設に入居するまで続くので約5年300枚以上になります。貴重な記録なので決して捨てられません。 母の白内障の手術日は1か月後に…

銀行の通帳が無くなる

認知症

地元の人の助けは大切

このままでは、いつか何か大変な事態に起きそうな不安が大きくなってきました。取り返しがつかなくなることが起きる前に、誰かに助けてもらうおうと思いました。とは言っても、まだケアマネージャーという名称も役割もわかってなかった時です。考えたのは、…

母の何かが変わっていく

まだ外部の人に頼ることに思い至らない頃のことです。この頃は2か月に1度くらいのペースで実家に帰っていました。まだそんなに切迫感は持っていなかったと思います。妻と二人で両親の様子を見に帰っていたときのことでした。古くて狭い家でしたが台所には…

ここまでの状況の整理

母の認知症と向き合っていた頃には、母の言動に合わせて医師に聞いたり本を読んだりして、やみくもに情報を集めていた気がします。今、このブログを書きながら、ネット上の専門サイトなどを見直すと当時の母の状態を整理することができます。と言っても母の…

遠距離介護の始まり

遠距離介護の始まり息子は2人とも首都圏在住。普段は実家には何もしない父と認知症の疑いのある母しかいません。立派な遠距離介護状態です。もし徘徊が始まったら、何か問題が起きたら、仕事上の責任も重くなってきたので、すぐに帰るわけにもいきません。…

何していいのかわからない

2006年秋の中国旅行。父も一晩寝て体力が回復したようで無事予定通り帰国することができました。 もしかして母は認知症なのか、という思いが確信に変わっていったのはちょうどこの頃です。年末に帰省した時の母は、一見いつもと変わらない様子でした。もう母…

中国旅行

カナダへ行った翌年、兄が両親と一緒に中国に行こうと誘ってきました。75歳すぎて2年連続で海外旅行!両親もびっくりしたことでしょう。香港から入って、広州、漓江下り、帰りはまた広州から香港に戻り一泊して帰国というスケジュールです。出国のために成…

母の様子に違和感

自分が40代になって、多少生活にも余裕ができた頃です。両親は70代になっていました。それまで親に何もしてやれかったな~と思い、両親を旅行に誘いました。海外旅行に行ったという会話の記憶が無かったので、奮発してどこか海外に行こうと思いました。それ…

出産、子育て、そして倒産、しかし…

昭和25年に結婚、昭和26年に兄が生まれました。これ以降の母の人生は順風満帆とは言えなかったようです。戦後の日本の繊維産業は、好不景気の波が交互にやってきます。この頃はまだ田舎の繊維産業は潤っていたようです。「ガチャ万景気」と呼ばれた頃です。…

母が生まれた家 ②

母が小学生の頃、祖父が糖尿病にかかりました。贅沢な食事と日本酒の飲みすぎが原因でしたが、当時の祖父を諫められる人は周囲に誰もいませんでした。祖父はお酒を飲みながら看護婦さんにインシュリンを注射させていたそうです。たまに漁師町を離れて山間の…

母が生まれた家 ①

母は昭和2年生まれです。北陸の漁師町で繊維工場を経営していた祖父(母の父)とその2番目の妻との間に次女として生まれました。当時の日本の繊維産業は輸出産業で業界全体が好景気に沸いていた時代だったと聞いています。祖父は福井の出身で、新しく織物工…

真夜中の電話

2015年9月13日 午前4時 自宅の電話が鳴りました。こんな時間のこんな電話はイヤなもんです。実はこの時、ぎっくり腰と坐骨神経痛の痛みで満足に歩けない状態でした。やっと電話機にたどり着いたと思ったら、留守電になる前に切れてしまいました。着信表示に…