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ここまでの状況の整理

母の認知症と向き合っていた頃には、母の言動に合わせて医師に聞いたり本を読んだりして、やみくもに情報を集めていた気がします。今、このブログを書きながら、ネット上の専門サイトなどを見直すと当時の母の状態を整理することができます。と言っても母の症状を理解しても何か有効な手をうつことはできなかったのですが…。

母の認知症の始まりは、まず「見当識障害」と「記憶障害」だった気がします。道がわからなくなるのはどっちなのかは専門家の判断にまかせたいと思いますが、母の場合、人物、場所は比較的終盤まで認識できていたようでしたが、道や方向がわからなくなるということはしょっちゅうでした。(広州のレストランのトイレとか)

その後に軽度の「せん妄」と「もの盗られ妄想」が起きるようになりました。(料理が盗まれるとか)

ただ、本当に不思議なのですが息子や嫁や孫の顔は最後まで忘れませんでした。

性格が変わるという「暴言、暴力」は出てきませんでしたし、よく認知症介護の体験談で語られる「ろう便」は母に限っては出てきませんでした。(これは、後述するヘルパーさんたちが上手く誘導してくれていたのかもしれません。)

一方「幻覚」「徘徊」「異食」は病気が進行するにつれ少しずつ現れてきます。後日、実家にいるときに「そこに小さい子がおるからごご飯たべさせてやって。そこにおるやろ~」と何回も言われると、ひょっとして母には何か見えているのかも…と背筋が寒くなったたことも1回ではありません。

この頃はまだ、普通の生活の合間にときたまに変な事を言う程度だったので、まだそんなに心配していませんでした。この程度で落ち着いてくれないかな~と希望をもっていた頃です。

※上記症状名は「認知症 ON LINE」を参考にさせていただきました。

お恥ずかしい話ですが、最初の頃は地域包括センターやケアマネージャーの存在・役割を知らずに、自分たちだけでどうすればいいか考えていました。そういう制度・施設を100%信頼できなかったのだと思います。

プロの知識と経験にもっと早く頼ればより良い対応をすることができたのではないかと思います。自分たち家族だけで抱えないで、早い段階からプロの手を借りることは、患者本人にとっても家族にとっても楽になる方法です。いまの現状を見聞きするに、介護の仕事に就く人たちの苦労が報われるような待遇の改善を期待します。また、認知症患者を抱える家族の誰もが地域包括センターやケアマネージャーの存在、役割について知っており、抵抗なく相談できるような社会になればいいと思います。