人生は楽しまなくっちゃ

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母の様子に違和感

自分が40代になって、多少生活にも余裕ができた頃です。両親は70代になっていました。それまで親に何もしてやれかったな~と思い、両親を旅行に誘いました。海外旅行に行ったという会話の記憶が無かったので、奮発してどこか海外に行こうと思いました。それまでにも行きたい処はないのかと尋ねてはいたのですが、母は「どこでもいいわ。どこでも行きたい。」父は「ここがいい。あんまり他のところに行きたくない。」との答え。父の本音は地元の新鮮な魚と好みの日本酒があればそれでよく、足腰の具合も良くないので遠出したくないということだったと思います。(父は脊柱管狭窄症でした。)母は何でも楽しみたい性格だったので、子供と一緒に行けるならどこでもいい、ということだったと思います。季節的なものもあって、カナダの紅葉を見る行程にしました。 両親が亡くなって遺品の写真を整理していて初めて知ったのですが、母は気の合う友人たちと、イギリス、イタリア、東南アジアと旅行していました。父も所属する親睦団体で韓国に行ったりしていました。知らなかったということは、それだけ父母と会話が少なかったということ。薄情な息子です。 両親が旅行に行く場合、準備は母に全部まかせ、父はなんにもしません。ひどい話ですが、旅行先で荷物も持ちません。この年代の男性ってこうなんでしょうか?父は足腰がしびれて痛そうでした。成田空港で折り畳み式の小さなパイプ椅子を買って旅行中、ずっと持って歩きました。数百メートル歩くとこの椅子に座って一休みするのです。 カナダ休憩中の父.JPG 母は「おとうさんが何もしないの。酒くれ、酒くれ、ばっかり言って。」と愚痴をこぼしていましたが、元気そうでした。しかしホテルで小さなトラブルがありました。部屋への行き方がわからないのです。田舎のばあさんだから外国のホテルでとまどっているのかな…ぐらいにしか思わなく、ホテルに戻ったらまず二人を部屋に連れていってから自分たちの部屋に帰るようにしました。ある朝「昨日怖かったわ。部屋をノックするので出てみたら黒人がいて、なんやら水道を修理するって言ってるみたいなの。怖いから「ノー」って言ってドアを閉めた。あんたの部屋に電話しようにもわからんし。」まあ、何事も起きなかったんだからと思い気にしませんでした。父に聞いてみても「知らん。」??? 本当のことかもしれません。しかし今にして思えば、妄想だったのかもしれません。ホテルの部屋って同じドアが並んでいますが、部屋番号で自分の部屋を見つけますよね。番号で自分の部屋を見つけられないのも認知症の初期症状だったのかもしれません。 このときはまだ、深刻には考えませんでした。カナダ両親.JPG この旅行で、カナダのキッチン付きのコテージで、近くのマーケットで買ってきたサーモンをバター焼きにして全員で食べました。母は料理の先生らしく私の妻を従えてテキパキ準備していました。その美味しかったこと。5人で大きい半身のサーモンをペロペロです。もっと買えばよかったね、って全員で言いました。地元の魚しか食べないと言っていた父も「もっとないがか?」と言っていたほどでした。このサーモンの味を忘れることはありません。カナダキッチン.JPG