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遠距離介護の始まり

  • 遠距離介護の始まり
息子は2人とも首都圏在住。普段は実家には何もしない父と認知症の疑いのある母しかいません。立派な遠距離介護状態です。もし徘徊が始まったら、何か問題が起きたら、仕事上の責任も重くなってきたので、すぐに帰るわけにもいきません。しかし実家の様子は心配です。仕事をやりくりして実家に帰る頻度がだんだん増えていきました。
離れて住んでいる親の介護って、何かが心配になり、少しずつ関わる頻度が増えていつのまにか遠距離介護状態になるんですね。
とりあえず何をすべきか、この時点でもまだケアマネージャーという存在を意識していませんでした。
  • 無くなるものが増えていく
何をしたかというと、まず家の中の物の在りかをはっきりさせようと思いました。母からは電話で「鍵が無くなったのよ~」とか家に帰ると「キャッシュカードが無くなって…」とか相談される回数が増えてきました。
そして、物がなくなる度に、父は母のせいにして大きな声で怒鳴るのです。父の怒鳴り声が母の病気を進行させたと私は信じています。母も自分で忘れるということがわかっているのか、外出時に家の鍵を父に渡そうとするのですが、父は「オレはいやや」と受け取ろうとしません。思い返すと、両親ともに視力が落ちていて、鍵を開けるのが難しくなっていたんだと思います。当時は二人とも「目があんまり見えんようになった」など子供に弱音は吐かない夫婦でした。
そのせいもあって、「家の鍵はここに置くって決めとこう。」「いつも使うものはここって決めとこう」などと一所懸命話しましたが、その決め事はまったく守られませんでした。
  • 一緒に生活している父の状態
そしてもう一つ困ったこと、母に何かあったら頼れるのは父しかいません、認知症の本には「忘れても叱ってはいけません」と書いてあるので、父に「母は認知症だから、物を忘れても大きな声で叱ってはダメだ」と何度も説明しましたが、こちらもまったく効果はありませんでした。特に少しお酒が入ると人が変わったように怒り出すこともありました。でも、一緒に生活していた父のストレスは相当なものだったと思います。父ばかりを責めるわけにはいかないような気がします。
それでも2か月に一度くらい顔を見せて、母の様子を見る限り、生活の上で決定的な支障は無いように見えていました。しかし、認知症は少しずつ進行していく病気なんですね。また、生活の上で小さい問題はたくさん起きていたに違いないのですが、普段の生活を見ていない私にはわからなかっただけだと思います。認知症は症状が重いときと軽い時が交互にやってくるので、たまにきて見ても、進行を正確に把握しにくい病気だと思います。また、母は息子たちの顔を見ると元気が出るのか、「母」としての自分に戻るのか、私たちがいるときにはあまりひどい状態ではないのです。
こうして1年がたっていきました。