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認知症の母と散歩する

このブログでは、認知症の母を遠距離介護していたときに感じていたことなどを書いています。思い出しながら書いているので、時系列が逆になっている場合もありますが、ご容赦ください。
気分転換に母と散歩  
体力が徐々に落ちていく高齢者にとって、意識して運動することは大切なことだそうです。実家にいてもヘルパーさんのいる昼間はこれといってやることもありません。ヘルパーさんの家事の手伝いをしていた母に「散歩に行こう」と声をかけました。まだそんなに症状が進んでない頃です。Sさんから「裁縫の先生に会うときのお母さんは楽しそうだから一緒に行ってきたらどうですか?」とアドバイスされていたので、訪問してみることにしました。裁縫の先生というのは、終戦直後の頃、母の実家に同居していた方で、裁縫を教えてもらっていたそうです。京都の女学校から連れ戻され、母親は寝たきりだった母にとっては姉とも母とも思えるような存在だったのでしょうか? http://kinoe-kaigo.seesaa.net/article/452616391.html 
違う方向へすたすた!
母の手をひいて外にでかけました。「裁縫の先生はどこにいるの?わかっている?」と尋ねると、母は自信たっぷりに「知っとっちゃ。ついてこられ」と言ってすたすた歩き始めます。Sさんから裁縫の先生は近くの介護施設に入っていると聞いていたので大体の場所はわかっていました。ぷうたろうには初めてですが、母は何回も行った場所のようでした。しばらく歩いていたら、案の定、母の様子が変です。あちこち見まわしながら、迷わず歩きだします。途中で不安になり「道はわかってる?」って聞いてみました。「わかっとる。」と怒ったような母の声。実はその時は、目指す施設の建物は見えていたのですが、それには気づいていないようでした。 途中で「こっちじゃないの?」と声をかけましたが、なかなか頑固で、あくまで自分で道を探そうとします。でも、やっぱりわかりません。とうとう途方に暮れたような顔になったので、「あそこじゃない?」と言って見えていた施設の方向に母を連れていきました。自分が目指す方向がわかってないのに、迷わず逆の方向に歩き出すのは、たまにありました。中国旅行の時もトイレから出て逆のほうに行こうとしてました。http://kinoe-kaigo.seesaa.net/article/452986259.html 
見当識障害というより単なる方向音痴じゃないの?笑
裁縫の先生は サ高住 に一人暮らし 
 なんとかたどり着きました。いわゆるサ高住の施設でした。施設の方に裁縫の先生の名前を告げて部屋の場所を聞きます。母は部屋の場所も適当に「そこ」などと言ってましたが、さすがに別の人がいる部屋にはおじゃまできません。裁縫の先生はお部屋にいらっしゃいました。母より5歳くらい年上の方でした。ご主人を無くされお子さんの世話にもならず、一人暮らしをされているようでした。ぷうたろうは昔の写真を見せてもらたり楽しかったのですが、母はそうでもなかったようです。先生が話しかけても出していただいたお菓子をパクパク。(糖尿病だから少しにしておいてね)認知症は昔の記憶は残っているとよくいいますが、その日の体調のせいか、昔の記憶も薄かったようです。先生の部屋はきれいに片付けられて居心地が良さそうでした。こういう風に一人暮らしができる高齢者もいるんだなと認識をあらたにしました。
 しばらくお邪魔して母の手をひいて帰りました。