人生は楽しまなくっちゃ

人生を楽しむためのあれこれ 大好きなフィギュアスケート、美味しい富山湾の魚 おススメふるさと納税返礼品 たまにトレッキング

施設への引っ越し

6月初旬でした。契約したサ高住の施設への引っ越しの日が来ました。新しくそろえた簡単な家具は兄がトラックをレンタルして運び入れました。それでも自宅から持って行く荷物は結構ありましたので、引っ越し前に兄が数回往復して運び込みました。

「いつでも帰ってこれる」

両親はどう思っていたのでしょうか? 案外「いつでも帰ってこれる」と気楽に考えていたのかもしれません。そういうケースがないことも無いですが、一度介護施設に入ってしまったら二度と自宅には帰れないことがほとんどだと思います。実は一番心配したのは、父が「こんなところはイヤだ!」と言って自宅に一人で戻ってしまうことでした。歩いて帰れる距離ですからあり得ない話ではありません。施設からこっそり自宅に帰って丸1日でもたったら、食事もとれない、転倒の危険はある、エアコンのリモコンも操作できないとすると、生命の危険すら考えられます。息子たちが急に東京から駆け付けると言っても半日はかかります。しかし、結局この心配は杞憂に終わりました。

父には「食事の用意もできない。倒れても誰も助けてくれない。一人で生活するのは無理。一人になったらすぐ死んでしまうよ」と言って散々言い聞かせたのが効いたんでしょうか?

40年住んだ家に再び戻れる日は来る?

しかし、両親が40年間ずっと住んでいた家です。私が高校入学した年に引っ越してきた家です。私が高校を卒業して進学のために上京してからはずっと2人で住んでいた家です。その家と永遠に別れなければいけないということを理解していたのか、その時も、その後も、落ち着いて話す機会はありませんでした。そういう話は避けていたのかもしれません。考えると寂しくなる話は無理に忘れて、「新しい部屋はきれいだね~」「トイレも手すりがついていてよかったね~。」「海が近いので散歩できるね~。」と楽しそうな事だけ言っていたような気がします。

前述したように、父と母はあまり顔を合わせないように1階と2階に分かれて住んでもらいました。それぞれの部屋には簡単な表札がついています。集合住宅の中の部屋なので、表札なんて必要なのかと思いましたが、住む人の気持ちを考えると、他人に伝える場合、地名と番地が無いとイヤなのかもしれないですね。

これから、この小さい部屋が両親の家

部屋の入口には暖簾をかけました。持ち込んだ家具や、テーブルやイスを配置し、衣類をタンスにしまいます。毛布などは押し入れにしまいます。父には高校生に教えていたときの数学の参考書や自筆のノート、母には生け花や料理の本を机の上に立てておきます。父は山の絵を描くのを趣味にしていたので、自筆の絵を飾りました。

f:id:oyamaiitenki:20171118201450j:plain

母の部屋の入口には花を飾れるように一輪挿しを扉の枠に付けました。父の部屋にはテレビを置いて、わかりやすいリモコンで使えるようにします。なんだかんだで時間がたっていきます。大体片付いたのを見計らって兄は両親に「また来るから」と言って帰っていきました。私たち夫婦もそろそろ東京に帰る時間がやってきました。