この日のことは一生忘れません。
他の作業に時間を取られて更新が滞りました。これからもよろしくお願いします。
東京に帰る時間が近づいてきた
新しい家、実家の近所にできた新しいサ高住、両親がこれからずっと暮らす家です。なんとか、必要なものと最低限の家具を運び入れ引っ越しは一段落です。東京に帰る列車の時間が近づいてきました。そろそろ行かなくてはいけません。妻と二人で父と母の様子を見に行きます。父の部屋は2階でした。
「そろそろ帰るから」そう言いました。
「お酒も出してもらえるから・・」
その後の言葉がなかなか出てきません。・・・なぜか涙が出てきました。
「お父さんは、この家でこれから暮らすんだからね。」・・・
「こういう所に入ってもらうしか方法が無かったんだ」・・・
「申し訳ないと思っとる」・・・
「でも、家にいるとお金が無くなってしまうから、ここでずっと暮らしてね」・・・
もう涙が止まりませんでした。
自分が言ったことは身勝手な息子の言い訳ですよね。
裕福な家に生まれて、小さいながらも会社を経営していた父、まだ認知症も出ておらず身体は動くのに、終の棲家として介護施設に入所してもらうことしかできなかった自分のふがいなさ、申し訳なさ、言いようのない辛さが一気に押し寄せてきました。しばらく涙が止まりませんでした。 そんな私に父はこう言いました。
「別に恨んだりしとらんよ。 ようやってくれとると思っとる。」
普段本心をあまり表に出さない父です。ここ数年は母の介護に比重がかかっていたので、あまり父のことを考えてはいませんでした。父には母の面倒をちゃんとみろと厳しいことばかり言っていたような気がします。お酒の飲みすぎを注意してケンカになりそうな日もありました。そんな毎日の中で、父は息子たちのやろうとしていることをちゃんと見ていたのでしょうか? 息子たちの考えることは全部お見通しだったのでしょうか?
妻は気を効かせて部屋を出ていました。しばらく父の足元に座って泣きました。
でも、これしか選択肢がなかったと思っています。
少し落ち着いてから母の部屋に行きました。