人生は楽しまなくっちゃ

人生を楽しむためのあれこれ 大好きなフィギュアスケート、美味しい富山湾の魚 おススメふるさと納税返礼品 たまにトレッキング

母の葬儀

母の遺体は一旦葬儀社に預かってもらい実家で母を迎え入れる準備をしました。築60年近い家屋です。この家が母にとっても私にとっても3軒目の自宅でした。父も介護施設に入所しているので、当時は空き家になっていましたが、息子たちが月に1回は帰宅していたので、まだ使える状態です。母はこの家に約45年住んでいました。私がこの家で暮らしたのはわずか3年です。

仏壇のおいてある客間を片付けました。家にあったキレイな布団を客間に敷きました。記憶を頼りに近い親戚、遠い親戚、お世話になった人、母の友人・知人に連絡をいれました。母がお世話になっていたケアマネージャーや介護施設にも連絡をいれました。

間もなく兄家族が到着し、母の遺体が運ばれてきました。

葬儀社のスタッフが手際よく作業をすすめていく様子をぼ~っと見ていました。葬儀社の社長から「火葬許可書」を預かります。病院で「死亡診断書」を書いてもらい、市役所に提出すると「火葬許可書」をもらえたと思います。この書類が無いと火葬にすることができない重要な、母の人生の最後をしめくくる書類だな・・と思ってみていました。

通夜は翌日、葬儀社のセレモニーホールで行われました。裕福な家で生まれいろんな人に囲まれて暮らしていた母ですから、ひっそりと、というよりは盛大に送ってやろうと思いました。実家があるのは日本海側の小さな都市です。この辺の地方紙の重要な役割は、可能な限りのお悔やみ情報を掲載することだとこの時知りました。近所の方が新聞を見て訃報を知り、葬儀に参列してくるようです。葬儀には、息子たちの会社関係や親戚から花輪が沢山届き、それなりに賑やかな雰囲気になりました。

f:id:oyamaiitenki:20180108114443j:plain

介護施設に入所していた父は、施設のスタッフに付き添われてやってきました。車いすで、老人性の記憶障害が進んでいるので、はたして母が死んだことを理解しているのか、わかりませんが喪主の席に座らせました。

菩提寺から住職がやってきて読経し母の葬儀は終わりました。