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この頃の母の症状

いつからどの程度の介護が必要になるのか?
Sさんのレポートを読み返すと、認知症はとても大変な病気だと感じます。身体の不調は、医師に必要な処置をしてもらえば、回復するのですが、認知症の記憶障害はそういう訳にはいきません。幸いにして母は、暴力的になったり、ろう便行為をしたり、物盗られ妄想で他人のせいにしたりすることは少なかったようです。まだ比較的症状が軽いこの頃、大変だったのは、様々な記憶を失ってしまうこと。Sさんのレポートでは、母との終わりのない会話の様子が書かれています。お薬カレンダーのこともそうです。いつなんのためにどの薬を処方してもらったのか、何度説明してもしばらくすると同じ説明を繰り返す。やはり自分のことなので、しっかりしなければと思っているのでしょう。母は他人の手を借りずに医者に行ったり、のむべき薬をセットしたりしたいようなのですが、何かを忘れてしまうのです。人間の行為は複数の要素でできていて、その中の一つでも欠けると行為が成立しないということがよくわかります。難しく書いてしまいましたが、医者にかかるためには、いつ行くのか、どこへ行くのか、何をもって行くのか、何時に行くのか、誰と一緒に行くのか、などなど多くのことを決め、覚えておかなくてはいけません。この中の一つでもわからなくなると、心配になって、身近な人に何回も同じことを尋ねるはめになってしまいます。聞くほうは、同じことを聞いているという意識はないのでしょうから、あまり気にならないのですが、聞かれるほうは、何度も何度も同じ説明をしなければいけなく、会話しているだけでストレスがかかります。
介護の要・不要は紙一重です。
普段の生活での買い物も多くの要素からなりたっています。買い物で一番大事なのは、何をいくつ買うかという判断とお金を払うという行為です。お店に行くことは長年の行為の積み重ねで場所も覚えているのですが、買ってきたものは、いつも同じものになったりします。母の場合、ジャガイモを買おうと思ったら、前に買ったものが残っているのに何回も買ってきたり、ショウガやネギもそうでした。冷蔵庫の中がジャガイモだらけ、ショウガだらけ、ネギだらけ になってしまいます。
普通に行動できているように見えるのに、身体もまあ健康そうに見えるのに、ちょっとした記憶・判断力が失われているために、生活がなりたたなくなっている。そばにいて、一言声をかけるだけでスムーズに行動できるのに、ちょっとしたことがわからないためにおかしな行動になってしまう。他人の介護がどの程度必要かを判断するのは非常に難しく、常に接している人にしか判断できないことなのだと思います。
おかしな言動は病気のせい。
母のおかしな行動や、繰り返し同じことを質問されることに、最初はイライラしました。しかし本人に悪気はないし、病気がさせている、言わせているので、本人は一生懸命ちゃんと生活しようと努力しているのだから、母にあたることについて自分を強く戒めようと思いました。